
約一年前、紺野さんにお会いしたとき、「そろそろ次の人にバトンタッチを考えている」と話されました。その言葉には、27年という長きにわたる親善大使としての活動の重みが込められていました。
先日、紺野さんに1998年の親善大使就任当時のことをうかがうと、「自分に何ができるのか、受けるべきか悩んだ」と語られました。当時の国連の「親善大使」といえば、オードリー・ヘップバーンさんなど、すでに第一線で国際貢献されている方々の存在がありました。
1999年、初めての現地視察としてカンボジアを訪れた紺野さんは、地雷の脅威、人身売買、エイズ、そして貧困という現実を目の当たりにしました。そのときの思いを、自身の著書『ラララ親善大使』の中でこう綴っています。
「普通の人の目線で見て、わかりやすい言葉で伝えていく役割の人が必要なんだ。だから私でいいんだ。知ったかぶりをしないで、『こんなことを見てきたよ』『こんなふうに感じたよ』と発信していけばいいのかもしれない。」
まさにその言葉の通り、1998年にUNDPの親善大使に就任して以来、これまで10の国と地域に赴き、世界の現状やUNDPの現場での活動を、自らの言葉と心で伝えてくださいました。パレスチナ自治区、ブータン、ガーナ、東ティモール、ベトナム、モンゴル、タンザニア、パキスタン、ケニア、そして2011年の東日本大震災後宮城県も訪問され被災者の方々の声に耳を傾けつつ現地の様子を視察されました。紺野さんは今でも2000年にパレスチナの子供との交流を鮮明に覚えてらっしゃいます。「今は大きくなったであろうあの子たちはこの戦争で今頃どうしているのか、」と。
さらに、東ティモールでの植林プロジェクトへの資金協力、『ラララ親善大使』の印税の全額パキスタン支援への寄付、2020年のコロナ禍におけるブラジルのコロナ対策支援への寄付など、紺野さんは支援の輪をさまざまな角度から広げてこられました。その紺野さんのお考えと支援は、UNDPを通じて現地で活用され、人々の生活の改善に貢献しています。
昨年は、博報堂のボランティア協力のもと制作した「人道・開発・平和の連携(HDPネクサス)」の重要性を訴えたUNDPの動画のナレーションを担当してくださいました。世界の現場を見てきた紺野さんだからこそ伝えられる深みのあるメッセージが込められています。
これまで、平和と開発の重要性を伝え、日本各地を巡りながらメッセージを発信し続けてこられました。最近では、作品『星は見ている』の朗読を通じて、平和の大切さや、当たり前に思う生活の尊さを伝える活動を行っています。
そして先日、芦田愛菜さんの親善大使就任式で、紺野さんは満面の笑みを浮かべながら「愛菜さんが引き受けてくださって本当に良かった」と語り、次の世代へとバトンを託しました。
27年間にわたり、親善大使として尽力してこられた紺野さん。その歩みに改めて敬意を表し、感謝申し上げます。
紺野さん、本当にありがとうございました。