著者:サニー・ヘギリオス UNDPバンコク地域ハブ 災害リスク削減分野 シニア・アドバイザー
あれから20年 〜インド洋大津波からの教訓〜
2024年11月5日
日本のことわざに 「災害は忘れた頃にやってくる」という言葉があります。
あれから20年、2004年のインド洋大津波はいまだ私たちの記憶に刻まれています。それは、アジア太平洋地域全体を、そして世界を深い悲しみで包んだ、痛烈で破壊的な瞬間でした。
世界的連帯の静かな物語
当時、私は23万人以上の死者を出し、12カ国に大惨事をもたらした津波に最初に対応した多くの人々の一人でした。
インドネシアのアチェでその対応に携わりながら学んだことは、この分野で働く上で、人生を通して心に残り続けています。
現在も私はUNDPで、災害に対する準備と対応を行う国々を支援しています。その教訓の多くは、今も私たちの仕事に生かされています。
重要なことは、この悲劇と同時に、世界が被災国を支援するために反応し、世界的な連帯という驚くべき物語が生まれたことです。総額で135億米ドルが集まり、その約40%が個人、信託、民間セクターからの寄付でした。これはまた、災害復旧分野において史上最も迅速な対応のひとつでもありました。
地域協力のきっかけに
津波は、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国が災害協力を正式に行うきっかけとなり、災害管理に関するASEAN協定や、ASEAN防災人道支援調整センター設立につながりました。この土台作りは、UNDPのレジリエンス構築支援イニシアティブなど、その後の協力関係にとって極めて重要なものとなりました。
UNDPは、インドネシア、タイ、スリランカ、モルディブ、インドの最も被害の大きかった5カ国の国事務所を通じて、人命を救い、損失と損害を最小限に抑えるために、 政府とコミュニティの緊急ニーズに迅速に対応しました。
コミュニティの備えを強化
それから20年経った今も、UNDPは津波への備え、特にリスクの高い地域の学校における備えを支援し続けています。日本との協力により、「アジア太平洋地域学校津波対策プロジェクト(津波プロジェクト)」と題された取り組みは、24カ国にわたる520以上の学校で訓練を行い、21万人が訓練と準備に参加し、コミュニティの回復力と意識を高めています。
このプロジェクトでは、津波避難訓練の実施、学校の緊急時計画の更新、これらの計画を国の災害管理枠組みに統合することなどが含まれます。
救援物資の管理からリスク管理へ
2004年の津波は、援助提供を妨げるのではなく、むしろ促進する法律の必要性も浮き彫りにした。当時の世界の大半の国々と同様、被災国は、人道的対応の受入れ管理をするための、あらかじめ確立された規則をほとんど持っていませんでした。
UNDPと国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)の協力により、スリランカやインドネシアなどの国々で改革が行われ、包括的な災害管理法が成立しました。UNDPは、ベトナム、ラオス、東ティモール、フィリピンなどの他の国々に対しても、新防災法の公布・ 承認に向けた国内プロセスにおいて同様の支援を提供しました。
インド洋大津波の教訓が、こうした政策改革を促したのです。重要なのは、こうした改善によって、復旧からリスク軽減へと重点が移され、災害への備えが国の政策に組み込まれたことです。
「ビルド・バック・ベター(より良い復興)」アプローチ
2004年12月26日の津波発生からわずか2年後、壊滅的な被害を受けた地域社会では、復興への長い道のりの中で大きな成果がありました。
約15万戸の家屋が建設され、ほとんどの避難民が適切な避難所で暮らし、大規模なインフラプロジェクトが進みました。子どもたちは学校に戻り、何百もの学校が新しく建設されました。被災した家族のほとんどは、何らかの生計を再開しました。さらにアチェでは、政治紛争を長く続けた政党同士が合意に達し、恒久的な平和への道が開かれました。
津波の復興活動は、レジリエンス(強靭性)の重要性を浮き彫りにし、私たちが「Build Back Better(より良い復興)」と呼ぶアプローチに拍車をかけました。このアプローチでは、コミュニティに力を与え、公平性を促進し、リスク軽減を優先させることで、コミュニティが将来の災害に対してより良い備えができるようにすることを重視しています。このアプローチを通じて、災害復興は災害前の状態に戻すことではなく、強靭性と包括性を向上させる機会と見なされます。
アチェにいた私たちの多くは、紛争と津波の直後、コミュニティと州がどのように復興するか想像もできなかったでしょう。
国際社会の前例のない対応により、物理的なインフラの被害や破壊の大部分を修復することができましたが、親族を失ったトラウマや、津波や紛争による苦しみは今も続いています。
アチェの復興に向けた意欲が、この地域の人間開発の進捗を全体的に強化するのに役立ったことは間違いありません。2008年、アチェの人間開発指数はインドネシア33州中29位でしたが、2023年には、インドネシアの州の中で11位にまで上昇しました。
このような甚大な被害と損失に見舞われた地域社会でのこの前向きな進歩は、今日に至るまで私を鼓舞し続けています。私は、地域社会が津波などの災害に対してより良い備えをし、対処できるようにするための私たちの活動が、地域社会を変容させるものだと心から信じています。
世界津波の日であるこの日に過去20年間を振り返ってみると、あれほどの甚大な被害が乗じたあの時のことを決して忘れることはできません。しかし、それだけでなく、この悲惨な経験を通じて私たちが学んだことは非常に多く、この教訓を生かして数え切れないほどの命を救うことができたと私は言えます。