UNDP日本人職員インタビュー:小松原茂樹 UNDPタンザニア常駐代表
未来を築く現場から:小松原茂樹タンザニア常駐代表が語る国連で働くという選択
2024年12月6日
UNDPガーナ常駐副代表、UNDP TICADプログラムアドバイザー、UNDPマラウイ常駐代表を経て、現在はUNDPタンザニア常駐代表を務める小松原茂樹さん。小松原さんへのインタビュー「アフリカの希望と日本の貢献」の続編として、小松原さん自身が国連で働く中で印象に残った出来事、国際協力を仕事にすることを目指す若者に対するメッセージをお届けします。
国連で働く中で、嬉しい瞬間にはどんなものがありますか?
私はアフリカ開発会議(TICAD)の企画運営に8年半携わっていましたが、TICADほど世界中の人たちと一緒に仕事に取り組めた経験はなかったと思います。TICADにはアフリカ各国の首脳に加え、先進国、アジア各国、100以上の国際機関や、企業関係者、市民社会関係者など、アフリカに関心を持つ人々が世界中から一堂に会しますが、こうした大規模な国際会議で有意義な意見交換やコンセンサスができるようにサポートするのは非常に大変です。議論をする中で意見はまとまっていくものですが、TICADも国連の会議同様、議論を進めていく過程は困難の連続で、うまくいかないこともあります。ですが、背景や立場が異なる人々が議論を通じて気付きを共有し、コンセンサスができ始める時のエネルギーやモメンタムを体感し、ついにコンセンサスが成立して世界中の人たちが拍手するその場にいることができるというのは、大変だけれども国連職員だからできるユニークな経験だと思います。これは色々ある中でも一番嬉しい瞬間かもしれません。
国連では、異なる文化や背景を持つ人たちが共通課題の解決に向けて知恵をしぼることで新しい考えが生まれます。職員には、世界中での勤務を通じそのような環境づくりに貢献することが期待されています。大変興味深く、やりがいのある仕事ですが、国を跨いだ移動が多いので、家族にも負担がかかります。国連は職員や家族向けに様々な支援制度を設けていますが、家族の理解が無いとなかなか難しい部分もあると思います。公私ともに苦労は尽きませんが、そうした困難があってもなお、仕事にはやりがいがあり、公私ともに成長していくことができるので、国連はとても良い場所だと思います。
ミッションとパッション
私は「ミッションとパッション」という言葉を大事にしています。ミッションとは「人のために何かしたい」ということ、パッションとは「特に自分はこれがやりたい」ということです。自分はこれに凄く関心がある、寝食を忘れても頑張ることができる、というような仕事や問題意識があって、それらを通じて世のため、人のために貢献したい、という志を追求する場として国連は良いところだと思います。 "Last out, First in(最後に出て、最初に入る)"と言うように、危険が迫ってもギリギリまで現場に留まり、状況が少しでも落ち着けばすぐ現場に戻っていくのが国連です。私たちは困っている人たちに一番近い場所で、将来への希望や様々な可能性を形にしていくことができます。国連は大変やりがいのある職場だと思います。
逆に、国連で働く中でご苦労された経験、必ずしもポジティブな意味ではなくとも印象に残っている出来事はありますか?
マラウイ常駐代表の際にコロナ禍が起こり、あっという間に世界中がシャットダウンしていく様を目の当たりにしたときは、国連職員であることの意味について改めて考えさせられました。国境も空港も閉鎖され、新型コロナウイルスとはどういう感染症で、今後どうなっていくのか、どういう対策が打てるのか、万が一その国の人々や国連職員が感染してしまったらどう対応すれば良いのか、当時は誰もわからない状況でした。国連職員は“Stay and Deliver(現場に留まり任務を全うする)”という理念に沿って、その国にいる人たちが厳しい状況にあるからこそ自分たちも残って頑張らなくてはいけません。当時私はマラウイでUNDPを代表する立場でしたので、最後まで現場に留まる覚悟を持っていましたが、世界規模でのパンデミックの中、明確な答えがないからと言って迷っている余裕はなく、皆で知恵を出し合い、その時々の判断が最善のものであることを祈って頑張るしかありませんでした。
厳しい状況でも最後まで現場に留まる
私は、コロナ禍をマラウイで乗り越えた経験から、国連職員の仕事とは、必要とされれば危険な状況でも現地に踏み留まり、人々のために最善を尽くすということなのだと思っています。グローバルなネットワークを持つ国連はやはり最後の砦なので、我々は任地に留まって活動しました。厳しい現場に残った国連職員は誰でも心細かったはずですが、現場にいるからこそ可能性が見えてくることも確かです。国連には多くの批判もありますが、コロナのような未曾有の危機でも現場で全力を尽くすことができたのは、国連のネットワークがあったからだと思います。閉鎖されていた空港に最初に飛んできたのは国連の飛行機でした。国連は人道援助や平和構築のために世界各地で国連機を飛ばしていますが、コロナ対応ではそれが役立ちました。また、簡単に答えが見つからない状況だからこそ、国内の様々な関係者と協力し、知恵を出し合い、デジタル技術に代表されるイノベーションが様々な分野で進みました。国連の有用性と底力を感じたという意味でも、パンデミックは最近では非常に心に残る経験でした。
我々がまだ理解していない強さを持つアフリカ
コロナ危機ではアフリカでは大変多くの死亡者が予測されていましたが、結果的には遥かに少ない死者数にとどまりました。マラウイでも、当初は何十万人が亡くなるという試算がありましたが、実際の死者数は100分の1程度に留まりました。なぜここまで影響が小さく済んだのかは詳しく分析されていくとは思いますが、アフリカには、明確に認識されていない強さ、累積された知恵、人々の助け合いと言った社会的な資産がまだまだあるのではないかと気づかされました。国連職員として現場で働くことの重要性を心に刻む良い経験になりました。
今日、ウクライナ危機やガザ危機など国際情勢が不安定化している中、国際協力に興味を持つ学生は非常に増えている一方で、国際協力を仕事にするのは難しいとも感じている学生も多くいます。このような若者たち、学生たちに対して何かメッセージを頂けますでしょうか。
自分が進路で悩んでいた時も、目の前で世界が大きく変わりつつある時でした。ヨーロッパでは共産圏の国々がどんどん倒れ、ソ連が崩壊し、湾岸戦争が起こり、世界が目まぐるしい勢いで変わっていきました。その時、自分の周りで何が起きているのかを自分なりに理解したいという気持ちが生まれてきました。当時私は大学卒業前で、既に民間企業から内定もいただいていたのですが、後悔したくないとの思いから海外の大学院に応募したところ合格し、進学することを決めました。目まぐるしく変化している世界状況について、自分なりに考えを深めるためには激動の現場に近いところで学ぶべきではないかと考え、ヨーロッパの大学院に進学しました。
正解のない世界だからこそ自分で理解する努力を
冷戦後は、対立する概念のない世界になりました。これは私がUNDPで仕事をしていく上では幸運だったのかもしれませんが、私たちは今再び時代の変わり目にいます。国際秩序が変化し、物事が複雑化して状況が把握しづらくなってきているのではないかと思います。過去の出来事は振り返ることができますが、今起きていることはなかなか把握できないものです。だからこそ、今、自分がどんな世界にいて、自分がどのような人間で、何に情熱があるのか、自分として世界にどう関わっていくのかを考えることはとても重要です。必ずしも正解の無い世界だからこそ、自分で考え、理解することが複雑化する世界情勢に向き合う唯一の方法かもしれません。
これからの50年を決めていくのは若い人たちです。今の好奇心、勉強してみたいという気持ちを大切に、なるべく現場に近いところで勉強して、自分なりの答えを導きだしてもらいたいと思います。これは若い人だからこそできる重要な作業なのではないでしょうか。そうして身に着けた思考や視点は、変わりゆく世界の中でも変わらずに使うことができますし、自分が社会にどのような貢献ができるかを見つけるためにも欠かせないと思います。今何が起きているのか自分なりに理解したいという気持ちを大事に、海外にせよ国内にせよ、思い切って自分と異なる人々の中に飛び込んで、多くを学んでください。意見の違う人と話す中で、違いが面白いと思えるようになっていくと、仕事や人間関係のストレスは減って行きます。「世の中には色々な考え方があるんだな」、「世界は広いんだな」と自分で感じなければ、良い仕事はできないと思います。今は円安などで海外に行きづらいかもしれませんが、若い方々には是非自分から積極的に国際社会に飛び込んでいっていただければと思います。皆さん頑張ってください。
小松原茂樹 UNDPタンザニア常駐代表
東京外国語大学卒業後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)大学院で経済学修士号(国際関係論)を取得。(社)経済団体連合会事務局、 OECD (経済協力開発機構)民間産業諮問委員会(BIAC)事務局出向を経て、2002 年より国連開発計画(UNDP)に勤務。UNDP本部アフリカ局カントリープログラムアドバイザー、UNDPガーナ常駐副代表、UNDP本部アフリカ局 TICADプログラムアドバイザー、UNDPマラウイ常駐代表を歴任し、現在はUNDPタンザニア常駐代表を務める。