信じるチカラ〜気候危機対策の最前線から

UNDP邦人職員インタビュー: 大司雄介 UNDP気候変動適応アドバイザー

2025年1月27日
a group of people standing in front of a crowd

ベトナムで実施している適応プロジェクトのための現地視察の様子

Photo: UNDP

UNDP気候変動適応アドバイザーとして気候変動適応の最前線で活躍する大司雄介さんに、ツバルでのプロジェクトへの想いや気候変動への取り組みのこれからについて聞きました。

現在の仕事内容について教えてください。 

現在、気候変動適応チームに所属しています。気候変動適応とは、気候の変化とともに社会経済システムを変革していくことです。途上国では適応に必要となる資金や知見が十分でないため、そうした資金を確保し、知見を提供し、効果的な気候変動への対処ができるよう支援することが主な業務です。現在UNDPの適応ポートフォリオは、100ヶ国以上、日本円にして2,000億円近い規模になります。

長年気候変動をテーマに海外を拠点に活動されている大司さんですが、もともと海外で働くことに興味を持たれていたのでしょうか?

結果的に海外で働くことになりましたが、もともと「絶対に海外で働きたい」と強く思っていたわけではありません。日本で生まれ育ち、初めて海外に出たのは高校時代の交換留学でした。その経験が後々大きな影響を与えたと思います。日本の大学に進学し、卒業が近づく頃に、海外でもう一度学びたいという気持ちが芽生えました。 当初は環境に特別な思い入れがあったわけではなく、大学時代のゼミ選択の際に「環境って面白そうだな」という軽い気持ちで環境系のゼミに入りました。勉強を進める中で、経済的なインセンティブを作り出し、それを政策として実現することで行動変容を促すというプロセスの面白さに気づきました。

大学院では主に環境経済学を学びましたが、環境問題の多くが経済開発の過程で起こることに気づき、開発経済学を学ばなければ環境問題を十分に理解できないと感じました。その結果、環境経済学に加え、開発経済学の修士号も取得することになりました。それをサポートしてくれた両親にはいまでも感謝しています。

アカデミアに進むという選択肢もあった中、現在の職に就くことになった経緯を教えてください。

大学院卒業後、PhDに進むことも検討しましたが、自分にはまだ基盤となる土台が足りないと感じ、就職活動を始めました。その中で最初にオファーを受けたのが、インドの非営利研究機関で、開発の影響を経済学的・統計学的に評価する仕事でした。

振り返ると、この経験は非常に大きな学びでした。貧困の現場を間近で見るだけでなく、自分自身もその地で生活し、体感することで得た視点は、UNDPでの現在の仕事においても大きな土台となっています。また、政府機関と小規模なNGOが補完し合う関係性を理解できたことも貴重な経験でした。

しかし、約4年間研究機関で働く中で、草の根の活動が個々人に与えるポジティブな影響を実感する一方で、貧困やその他の問題のスケールを考えたとき、このアプローチでは根本的な解決には長い時間がかかると身をもって実感しました。これを契機に、国連のような大規模な組織で働くことに興味を持ち始めました。 その後、JPO制度を通じてUNDPニューヨーク本部に配属され、さらに現在のバンコク地域事務所の気候変動チームへと移りました。

a group of people swimming in a pool of water

海面上昇の影響を受けるツバル

Photo: UNDP / Silke von Brockhausen

2010年から気候変動適応分野に関わってこられましたが、この間に世界の気候変動への認識はどのように変化したと思いますか?

気候変動の問題自体が年々深刻化しているのは言うまでもありませんが、それに伴い、社会全体での認知度も2010年当時と比べて大きく変わったと感じます。気候変動対策はゆっくりではありますが、長期的に見れば確実に前進してきました。

2000年代前半から中盤にかけて、気候変動適応に関するルールや仕組みづくりの議論が始まりましたが、当時は「気候変動適応」という概念自体が、専門家以外の間ではほとんど知られていませんでした。それから約15年が経ち、この概念は徐々に浸透し、日本政府の政策にも組み込まれるようになりました。

また、地球温暖化対策資金として年間1,000億ドルを拠出する目標も困難視されながら達成され、昨年のCOP29ではさらに資金を増額する合意がなされました。しかし、その資金援助に途上国の人々がアクセスするにはいまだに多くの課題が残っています。例えば、現在、気候変動適応のための無償資金の大部分はプロジェクトベースで拠出されていますが、プロジェクトの設計には多大な時間と費用がかかります。そのため、途上国が本来注力すべきであるプロジェクトの実施以前に、プロジェクトの設計に限られたキャパシティやリソースを分配しないといけないという状況が生まれています。

私は南太平洋の島国であるツバルの適応策に長年取り組んできました。ツバルでは、気候変動が喫緊の課題であることは広く知られているにもかかわらず、プロジェクトに資金をつけてもらうためには、気候変動の喫緊性、インパクト、そしてプロジェクトの期待効果をかなり詳細に説明しなければいけないわけです。ツバルだけではなく、ドナーのお金を受け取る以上すべての途上国がこの問題に直面しています。最低限の説明責任や透明性を担保しつつ、どれだけ素早く途上国にお金を届けられるかというのは、今後の大きな課題だと思います。

a man talking on a cell phone

ツバルにて現地視察をする様子

Photo: UNDP

立ち上げから携ったツバルのプロジェクトについて、その概要やプロジェクトに対する想いを教えてください。

ツバルでは、簡単に言うと海面上昇に対処するプロジェクトを行っています。ツバルは小さな島が散在している国で、平均標高が海抜数メートルと非常に低く、気候変動による海面上昇の影響にさらされています。このプロジェクトでは、ツバルが2100年くらいまでに見込まれる海面上昇には適応できるように、7.3ヘクタールの土地を新しく作りました。将来、海面が上昇しても、大型サイクロンが来襲しても、この7.3ヘクタールの土地だけは浸水しないようにつくられており、ここに避難所や政府官庁、その他重要なインフラを置くことで、人の生活や国の機能をまもることができます。もちろんこれで十分というわけではなく、今はオーストラリア政府の賛同もあり、この安全な土地をさらに広げていく新たなプロジェクトが始まっています。

私はこのプロジェクトに10年ほど関わっていたのですが、ツバルという気候変動適応の最前線でプロジェクトに長く関わり続けることには大きな意味があったと思っています。国連は、良くも悪くも属人的な組織です。仕事の内容や進め方が個人に依存する度合いが、民間企業などに比べるとおそらく信じられないほど高い。そのため、支援する側の担当者が頻繁に変わると、前任者が築いてきた人とのコネクションや政府との関わりを再構築するのに時間がかかり、受益者である国へのサポートに影響が出てしまうのです。仕事相手がツバルのように、キャパシティの非常に限られた国だとそれは顕著になります。小さな国で仕事をしてきて、そのような状況を目の当たりにしてきました。

また、気候変動適応という分野はその国・地域の経済・社会をどう変えるかという話なので、2、3年で成果が出るものではありません。そのような中で仕事をするにつれて、気候変動適応という分野に身を置いている以上、世界で最も脆弱と考えられているツバルで成果を出せなければ、気候変動適応のプロとして失格なのではないかという想いがありました。なので、ここで成果を出すまでは次の人には引き継がないぞ、という信念のようなものをもってやっていました。チームや組織も自分のわがままを聞いてくれたので感謝しています。ツバルでの適応に関わり始めてから10年たち、いくつかのプロジェクトを経て、最後の大きなプロジェクトが軌道に乗り始めたという実感と達成感を得られたので、数年前に後任にプロジェクトを引き継ぎました。

a boat in the water

ツバルでの海面上昇に対処するプロジェクト

Photo: James Lewis TCAP Coastal Engineer

ツバルのプロジェクトは、気候変動適応の先駆的な成功例の一つと言えると思いますが、この成功の理由は何でしょうか。

埋立地を作ること自体は新しいことではありませんし、多くの国が普通にやっていることです。ただ、ツバルのような非常に小さな国で、2100年までの海水面上昇を見越して、しかもドナーの予算で新たな土地を作るというアイデアは、新しかったのかなと思います。また、新しい土地ができることを誰もが歓迎してくれて、利害の対立がなかったというのが成功の大きな理由の一つだと思っています。

ただ、気候変動適応プロジェクトに利害の対立がないことは非常に稀です。例えば、ウガンダでは気候変動適応をする上で重要な湿地の保護のために、湿地帯で生活している人に他の場所に移転してもらう計画をUNDPはサポートしていますが、移転先のコミュニティは土地を奪われることになるので、自然と反対意見が出てきます。移転コミュニティと受け入れ先コミュニティの間での対立を生まないために、長期的なサポートも必要になってきます。実際のプロジェクトの多くは、そうしたコミュニティレベルでの利害の調整や、従来の習慣からの変容をどうやってサポートするかということが肝になってきます。

そういう意味で、気候変動に適応することというのは、ただ単に新しい技術や手法を導入するということ以上に、様々な利害を持った当事者が未来の(そしてそれは、多くの途上国では今よりもより厳しい生活の)ビジョンを認識・共有し、限られた資源をコミュニティのなかでどう分配していくのか、それを皆が納得のいく形にどう落とし込んでいくのかという仕事とも言えると思います。

a group of people in a garden

ウガンダの湿地帯から移住した人の生計手段を支援するためのキャベツ畑

Photo: UNDP Uganda

気候変動適応のために、これからより多くの人の力が必要になると思いますが、読者の皆さんに伝えたいメッセージはありますか。

現在の社会システムの中で暮らす以上、生活に伴う二酸化炭素の排出は避けることができません。そのため気候変動という問題は、程度の差こそあれ、我々一人一人が原因の一端を担っています。またそれは、長い時間をかけて、地球全体に影響を及ぼす問題がゆえに、自分個人が努力しても、というあきらめや無関心の中に身を隠すことも簡単にできてしまいます。そのため、個々人の置かれた状況によって気候変動に対する考え方は大きく異なるでしょう。ですので、メッセージという形で伝えるのは難しいですが、私個人が感じることをお伝えしたいと思います。

地球全体の時間軸で見ると、人類の歴史なんて非常に短いものです。これまでも、わたしたちが見たことも聞いたこともないような種や生物が、地球上に生まれては絶滅してきました。絶滅の個別の理由は様々でしょうが、ざっくりと分ければ、ほとんどの場合が、生存環境の変化に適応できなかったということに収れんすると思います。私は同じことが人類に起きてもなんら不思議はないと考えていますし、今人類は、終わりの入り口のところに立たされているのかもしれない、ということはしばしば感じます。

もうひとつ。ベストセラーにもなったユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』や、私の好きなジョセフ・キャンベルの『The Power of Myth』(神話の力)という本にも書いてあるのですが、高度な知能を持つその他の霊長類とヒト(ホモ・サピエンス)を分ける能力の一つが物語を作り、それを信じる力だと言われています。物語や神話を作ることで、多くの個体の考えを一つの方向性に向けることが可能になったのだ、と。現代では、その物語や虚構が、社会の分断の一翼を担っていることもまたまぎれもない事実です。しかし、気候変動という複雑で巨大な問題を解決することができるとするならば、それは人類がこの特別な能力を使って、みなで共有できる未来像を作り上げ、そこに向かっていくという帰結によってのみ可能なのではないだろうかと思っています。

最後に、大司さんの仕事におけるこだわりを、ぜひ教えてください。

仕事のためだけにというわけではないですが、仕事柄色々な国に行くので、新しい国に行くときに、歴史がわかる本を読むようにしています。今はバルカン半島の歴史の本を読んでいます。本を読んでいく中で、その地域の歴史にはまって、そこから他の本も読んでみる、なんてこともよくあります。


大司雄介 UNDP気候変動適応アドバイザー
Yale大学にて環境科学修士と開発経済学修士を取得。インドでマイクロファイナンスの研究機関に研究員として在籍し、2008年よりUNDPで勤務。JPOとしてニューヨーク本部に勤めたのち、 UNDP気候変動適応地域スペシャリストとなり、現在はUNDP気候変動適応アドバイザーを務める。

a group of people posing for the camera

大司雄介(中央)と聞き手( UNDP駐日代表事務所インターン森・松井)